好きと嫌いの心理学〔1〕
「好き」という気持ちはどこから来るのだろう?「嫌い」という気持ちはどこから来るのだろう?
「好きと嫌いに理由はない。」なんて言う人もいるけど、何かを好きになるには必ず理由があります。嫌いになるのにも必ず理由があります。それは人間関係や恋愛についてもまったく同じことなのです。
オトナになるってどういうこと?
「好きと嫌い」について話を始める前に、まずは「オトナになるとはどういうことか?」について考えてみたいと思います。
本当の意味で"オトナになる"とは、いったいどういうことなのでしょうか?
「あなたが"オトナになった"と感じた瞬間はどんなときですか?」
という質問をすると...
- 初めてお酒を飲んだとき。
- 就職して、初めて給料をもらったとき。
- 初めて恋人が出来たとき。
- 免許をとって、初めて車の運転をしたとき。
- 20歳になったとき。
...などなど。
いろいろな答えが返ってきます。
確かに(なるほど)とは思いますが、これらはすべて"外的な要因"に過ぎず、本当の意味で"オトナになった"瞬間とは言えないのではないかと私たちは考えます。
それよりも何か、もっと"内的な要因"としてオトナの基準を設けることは出来ないだろうか?...そう考えて出した結論は以下のようなことでした。
- 自分の行動を決めるときに「好きか嫌いか」だけでなく、それとは違う"何か別の基準"にもとづいて決めるようになったとき。
子どもが何かを選択する基準は、単純にそれが「好きか・嫌いか」だけです。好きなことならやるし、嫌いなことならやりません。2つまたは多くの中から選ぶときにも、それらの中からいちばん好きなものを選びます。
(何故それが好きなのか?...何故それが嫌いなのか?...)
好きと嫌いには、何らかの理由なり原因なりが必ずあります。にもかかわらず、子どもはあまり深く考えずに"好きか嫌いか"を瞬時に判断します。ほとんどの場合、キレイなものやカッコイイものなど直接的に自分を快適な気持ちにさせてくれるものを選びます。
これは人間関係や恋愛のベースになる感覚です。とりわけ子ども同士の人間関係は、すべてがこれ(=好きか嫌いか)で成り立っていると言っても差し支えないでしょう。これがオトナになればなるほど、単純に(好きか嫌いか)だけではなくなっていくわけです。
そして、恋愛については"これ(=好きか嫌いか)"がいちばん基本的なものになります。キレイな女性やカッコイイ男性がモテるのは、子どもであろうとオトナであろうと変わりません。しかし、オトナになるにつれて少しずつ、好きか嫌いかの判断基準が"キレイ・カッコイイ"だけではなくなっていくわけです。
最初に起こる変化
生まれてから3〜4歳ごろまでは、四六時中 母親(または父親・両親・祖父母などの大人)といっしょに過ごします。常に自分を保護してくれる人といっしょにいるので「好きか嫌いか」の基準で判断しても何の問題も起こりません。仮に、好きなものを選んだ結果、自分に何らかの不利益が生じたとしても、大人が必ずフォローしてくれるからです。
しかし、4〜5歳になって幼稚園や保育園などに入園するとそうはいかなくなります。「好きか嫌いか」だけで物事を判断して何らかの不都合が生じても、必ずしも自分を保護してくれる大人が近くにいるとは限らないからです。
精神面の成長が早い子であれば、ここで次の段階に移行します。精神面の成長が遅い子であっても、通常は小学校低学年ぐらいまでには次の段階に移行します。
何かを選択する基準に"最初の変化"が起こります。子どもからオトナへの成長過程で最初に起こる変化は、これまでのような「好きか嫌いか」だけではなく、
- 損か得か
- 正しいか正しくないか
- 必要か必要でないか
など、いくつか他のことも考慮したうえで自分の行動を決めるようになるのです。
たとえ"キレイなもの"や"カッコイイもの"であっても、"損をするもの"だったり、"正しくないもの"だったり、"必要のないもの"であれば、簡単にはそれを選ばなくなります。逆に、たとえ"キレイでないもの"や"カッコ良くないもの"であっても、得をするもの・正しいもの・必要なものであれば、それを選んだりもします。
ただし、この時点での判断基準は「自分にとってどうなのか?」であり、あくまでも個人的な事情であって、社会的な事情はいっさい含まれていません。
これは、人間関係や恋愛について同じことが言えます。
オトナになるにつれて人間関係にも少しずつ変化が起こり、自分にとって"得な人・正しいと思える人・必要な人"に対して好感を抱くようになります。そして、恋愛についても同様な変化が起こります。ただし、恋愛で言う「得な人」とは「損得勘定で恋愛する」という意味ではなく「自分を快適な気持ちにさせてくれる人」といった意味になります。
また、「正しいと思える人」については、あくまでも「共感できる人」といったニュアンスになることを忘れてはいけません。単純に"正しい"だけでその人の魅力に結びつくことはないからです。むしろ、単純に正しいだけの人は相手や周囲から共感されにくい傾向があるため、逆に"煙たがられる人"になってしまう可能性があります。
短期的視野から長期的視野へ
幼稚園から小学校へ、小学校から中学校へ、中学校から高校へと進むにつれて、人はだんだんオトナになっていきます。
中には、身体だけオトナになって精神的にはいつまでも子どもの人もいます。彼らの最大の特徴は、物事を判断するときに「自分にとってどうなのか?」といった個人的な事情だけで決める傾向がいつまでも強いことです。
- 自分にとって損か得か
- 自分の考えで正しいか正しくないか
- 自分にとって必要か必要でないか
しかし、ほとんどの人は身体の成長にともなって精神面も成長していきます。そして、個人的な事情だけでなく社会的な事情で物事を判断するようになっていきます。
つまり「自分にとってどうなのか?」だけでなく「(自分を含めた)みんなにとってどうなのか?」という基準で物事を判断するようになっていくということです。
- 自分にとって損か得か→みんなにとって損か得か
- 自分の考えで正しいか正しくないか→みんなの考えとして正しいか正しくないか
- 自分にとって必要か必要でないか→みんなにとって必要か必要でないか
「みんなにとって」とか「みんなの考えとして」とか、まるで"キレイ事"のように感じるかもしれませんが、ここでいう「個人的な事情」や「社会的な事情」は、次のような言葉に置き換えることもできます。
- 個人的な事情→短期的な視野
- 社会的な事情→長期的な視野
学校という集団生活の場では、何よりも"周囲との協調性"が求められます。そんな中で、個人的な事情ばかり優先していると、周囲から嫌われる原因になります。周囲から嫌われてしまうと、のちのち自分に不利益な事態を招いてしまいます。
- 今は我慢をして周囲に合わせておいた方が、のちのちの自分のために良いだろう。
つまり、社会的な事情とは「長期的視野で見た個人的な事情」でもあるのです。
もちろん、この「社会的な事情=長期的視野」という考え方には、その他いろいろと複雑な要素も絡んできます。上記のように"のちのちの自分のため"に協調性を持つ場合もあれば「それが正しいことだから」という"正義感を満足させるため"に協調性を発揮する場合もあります。また「誰か(たとえば、大切な人や好きな人)のため」に協調性を発揮することもあり、そうやって"相手に嫌われないため"という目的が無意識に働いている場合もあります。
そして、学校を卒業して社会に出ると、これらの傾向はますます顕著になっていきます。