友人や知人の嬉しい話や幸せな話をまったく喜べません...
友人や知人の嬉しい話や幸せな話をまったく喜べません。その場はとりあえず「すごーい。良かったね!」などと返しますが、心の中では(自慢話なんかして、バカじゃないの?)と思ってしまいます。こんな心の狭い自分がイヤになります。どうすれば良いですか?
自分が得られていない(得られたことがない)幸せを得ている人に嫉妬するのは、人間にとって普通の心理です。けっしておかしなことではありません。実は、友人や知人の幸せな話を喜べないのは、現在、あなた自身が幸せではないからなんです。他人と比較して、自分の方が不幸だと思えてしまうのが悔しいからなんです。
図は「マズローの欲求5段階説」を分かりやすく図表にしたものです。
マズローの欲求5段階説とは「人間が持つ欲求は低いものから順番に現われ、その欲求がある程度満たされると、次に一段階上の欲求が現われる。そして、どの階層の欲求に取り組んでいるかによってその人の健康レベルが分かる。」というものです。
マズローの欲求5段階説を仮に真実だとすれば、相談者のお悩みの原因は「キチンと下から順番に欲求をクリアできていないから」ということが考えられます。
ですが、私は個人的に、この「マズローの欲求5段階説」にはいくつか矛盾があると考えています。(少なくても、現代社会に生きる人々にとっては、当てはまっていない点が多いと考えられます。)
まず最初に思い当たる矛盾は、生理的欲求の「性欲」についてです。
食欲や睡眠欲などは良いとしても、性欲が満たされていない人は世の中には大勢います。にもかかわらず、多くの人は「安全欲求」を満たすために働いてお金を稼ぎ、「社会的欲求」を満たすために企業や趣味サークルなどの集団に属し、「尊厳欲求」を満たすために努力したり頭を使ったり、「自己実現欲求」を満たすために目標を立てて頑張ったりしています。
私の考えは、おのおのの欲求は「並列関係」になっている...というか、欲求が出現する順番は、ある程度ランダムになっている、もしくは(ある程度の物心がついてからは)そもそも全ての欲求を抱きながら生きている、といういうことです。たとえば、飲まず食わずで芸術の創作活動に打ち込んでみたり、社会から断絶されながらも難関資格試験の勉強に打ち込んでみたり、借金を抱えながら新技術の発明に打ち込んだり...このように「自己実現欲求」や「尊厳欲求」を満たすために「社会的欲求」や「安全欲求」や「生理的欲求」の一部を犠牲にする人も大勢いるのではないでしょうか。
ただし、一つだけ思うことがあります。それは、下段3つ(生理的欲求・安全欲求・社会的欲求)のうちどれかを犠牲にして、上段(尊厳欲求・自己実現欲求)の欲求を満たしている人は、本当に幸せなのかどうか?...ということです。
私は、けっしてそうではないと考えています。仮に上段の欲求が満たされたとしても、下段3つのどれかが満たされていなければ、結局は、何か足りないものを感じて幸福感を得るには至らないんじゃないかと思うんです...。
よって、この相談に対する一つ目の回答は、以下のようになります。
- 「自分が満たされていない欲求」を見つけ出し、その欲求を満たせるように一つ一つ頑張っていくしかない。満たすべき優先順位は、マズローの欲求5段階説の「下から順番に」である。
つまり、私による「修正版:マズローの欲求5段階説」は「下から順番に"出現する"のではなく、幸福感を得るために、下から順番に満たし積み上げていくべきピラミッド構造を表わしている」ということになります。
さて、マズローの欲求5段階説批判はこのくらいにして...
欲求を満たすための努力をすべしといった実質的な話ではなく、もっと「心理的に」何かないのだろうかと考えたときに、まず最初に出てくるのは、近年、日本でも有名になりつつある心理学者の「アルフレッド・アドラー」の言葉ではないでしょうか。彼だったらきっとこんなことを言うのではないでしょうか。
「他人と比較して劣等感を抱いても意味はない。理想とする自分と比較して劣等感を持てば、努力するためのモチベーションになり、過去の自分と比較してみれば、それよりは成長している自分に優越感を持つことができる。」
とはいえ、やっぱり比較しちゃいますよね...他人と。私たちは、社会の中で他人と関わりながら生きているんですから。山奥にたった一人、仙人のように生きているわけじゃないんですから...
また、古代中国の春秋時代の哲学者である「老子」だったらこんなことを言うでしょう。
「足るを知る(=人はついつい足りていないことにばかり目が行ってしまうが、足りていることに目を向けると自分が幸せであることに気がつける)」
そうは言っても...足りないもんは仕方がないじゃないか。隣のあの人と比べたら、私なんてぜんぜん足りてないだからしょうがないじゃないか...なんてことは、ざらにありますよね?...
やはりここでも、他人と比べたときに劣等感を抱かずにすむよう、自分自身を成長させたり、自分に足りないものを得るための努力をするしかない...ということになりそうです。
- やはり、他人と比べたときに劣等感を抱かずにすむよう、自分自身を成長させたり、自分に足りないものを得るための努力をするしかない。
最後に、これまでとはちょっと違った視点で考えてみましょう。相談者さんは、こんなことを考えたことはありませんか?
「自慢話をしてくるそのお友達は、本当にあなたよりも幸せなのでしょうか?」
もしかしたら、そのお友達は、普段はまったく幸せではなくて、自慢話をしているときだけが唯一の至福の時間だった...なんてことは考えられませんか?...(自慢話をする人は、心の中で何か満たされていない気持ちを抱えていることが多いんです。)
かつて、私(回答者)にも、とってもしんどい時期がありました。仕事ではストレスまみれで、恋人もなく、友達も遠く離れていて、家に帰っても酷く孤独で...とても幸せとは言い難い苦しい日々でした。ですが、そんな私に向かって、会社の同僚はよくこんなことを言うんです。
「いつもニコニコ幸せそうで良いねぇ。○○くんからは元気をもらえるよ。」...と。
(そんなバカな!?)って感じです。ただ、笑顔でいる方が人間関係が上手くいくと思うからいつも笑顔でいるだけなのに...。(誰も、私の苦しみなんか1ミリだって分かっていない...)と思うと虚しくなったりもするけれど(まあ、むしろその方が都合が良いか...)とも思えるので、とりあえず笑顔で過ごしていました。ただ「私は周りの人に元気を与えているんだ!」と思えば、辛く苦しい毎日でも少しはマシに思えたりする部分もありました。
本当に、自慢話をしてくるお友達は幸せなのでしょうか?
もしかすると、あなたはそのお友達の自慢話を聞いてあげるだけで、そのお友達の癒しになっているかもしれません。
そうなんです。あなたもかつての私のように「癒すことができる自分って、すごい!」と思っていれば良いんじゃないでしょうか...?
- 自慢話をする人は、心の中で何か満たされていない気持ちを抱えていることが多い。
- そんな可哀想な人を、癒すことができるあなたは「すごい人」である。