思考放棄と思考停止
蜜柑寮〜キミを奪う天使とボクを救う悪魔〜(本の紹介ページ)
人は、やりたいことや望んでいることが自力では実現不可能と感じて絶望すると、ときに「思考放棄」の状態に陥ることがあります。さらに、努力すら出来ない状態...つまり、気概(モチベーション)が0の状態に至ると「思考停止」に陥ってしまいます。
思考放棄と思考停止
ここではまず、第一歩すら踏み出せない人がどういう状況なのか?...気概(モチベーション)を持てないのはどうしてなのか?...について考えていこうと思います。
物語の中で、アパートに遊びに来た仲間たちが恋愛話を始めると、主人公はきまって洗い物を始めます。何か手を動かすなど他のことしながらでないと恋愛話を聞くことができないのです(つまり、関心のないフリをしているわけです)...そう、これがまさしく思考放棄の始まりです。
これは恋愛への自信のなさをごまかそうとする行動です。さらに、最初は「仲間たちに対するごまかし」として始めたつもりが、いつしか「自分自身に対するごまかし」へと変化していきます。つまり、考えることを完全に放棄した状態...思考放棄が完成してしまっているわけです。
また、主人公はのちのち、強力なライバルの出現によって、自分の恋の行く末を友人に託さざる負えない状況に追い込まれてしまいます。いわゆる「他力本願」とも言えるこの状況は、まさしく思考停止の始まりでもあったのです...。
近年では、いわゆる草食系男子と呼ばれる恋愛に消極的な男性が増えています。と同時に、肉食系女子と呼ばれる恋愛に積極的な女性が増えています。だからと言って...
「だったらまあいいか、草食系男子は自分だけじゃないんだし、肉食系女子の方から来るのを気長に待っていればいいんじゃないかな?」
...なんて言っている場合じゃありません!
たとえこんな世の中でも肉食系男子として積極的に恋愛に臨んでいる男性はたくさんいます。また、恋愛を始めたいのであれば肉食系の方が絶対に有利だし、女性たちだって、できることなら男性にもっと積極的になって欲しいと思っているんです。たとえ、女性から積極的に告白するケースが増えてきているとはいえ、本音を言えば男性の方から誘って欲しいんです。そして、今も昔も、男性から女性を誘うのが望ましい形であることには変わりないんです。
(いやいや、男女平等の世の中、そんな考えはもう古いんじゃないの?)
...なんて思うかもしれませんが、それでも女性の本心としては、やっぱり男性の方から来て欲しいんです。オス(男)が気に入ったメス(女)に求愛し、メス(女)が気に入ったオス(男)を受け入れる...これが現時点でのヒト(人間)の本能なんです。
千年後、二千年後の未来はどうなっているか分かりませんが、これまで数十万年にもおよぶ人類の歴史の中で培われてきたオスとメスの本能は、たかだか数十年・数百年の価値観の変化で変わるようなものではありません。
いや、むしろ世の中の大半の動物がそうであるように...
オスがメスに求愛して、メスがオスを受け入れる
...という形態は、雌雄(オスとメス)の区別が起こった古代生物から人に進化するまでの、数億年にもおよぶ生物進化の過程で出来あがった根源的な本能に近いのかもしれません。
だから、誘ったところで受け入れてもらえる自信がないからと言って思考放棄をするのではなく、女性の方から誘われるのを待つだけの他力本願を決め込むのでもなく、自分から積極的に誘えるような肉食系男子になって欲しいのです。それこそ他力本願は、自分自身の無力感と将来への不安感を高めて思考停止に陥る原因にもなってしまうのですから...。
- 思考放棄…ある切迫した事柄を、自分の意思で考えないようにすること。
- 思考停止…自分の意思とは無関係に、ある切迫した事柄について何も考えられなくなること。
- 他力本願…自分自身の無力感と将来への不安感を高めて、思考停止の原因になる。
だからこそ、あなたが取り組むべき問題が大きければ大きいほど、他力本願ではなく自力本願であって欲しいのです。
これは恋愛に限った話ではありません。これからの長い人生の中で起こりくるさまざまな問題において、それらを自力で解決する力を養って欲しいのです。
自分でできること、自分がやるべきことは、むやみに他人に任せずに自分でやる習慣を身につけるべきなのです。
著者である木ノ下涼氏は、中学二年のときに部活(陸上部)内で完全に孤立していたそうです。キッカケは、ただでさえ(当時は)人見知りが激しく友だちも少ない中で、陸上部内で一人しかいなかった友だちが転校してしまったことでした。
周りにいるのは(人見知りな性格では絶対に仲良くなり得ない)先輩たちや後輩たちと、それまでほとんどしゃべることが無かった同級生たちだけになってしまいました。もしも、誰かが話しかけてくれたときのための心の準備はできていました。ですが、それまでずっとしゃべる機会がなく、いつも一人で黙々と走っている彼に、わざわざ話しかけてくれる人は誰一人いませんでした。
人見知りだからといって、なにも孤独が好きだったわけではありません。必ずしも二人以上は必要ないけれど、誰か一人でもいいから友だちが欲しかったそうです。
唯一の友だちが転校してから九ヶ月後、ついに勇気を出して同級生の一人に自分から話しかけてみました。もしかしたら無視されるんじゃないかという不安もありましたが、その同級生はぜんぜん普通に応対してくれました。そして、次の日から「一日一回、自分から誰かに話しかけてみる」というノルマを自分に課して、陸上部内の他の同級生や先輩や後輩たちの輪の中に少しずつ入っていけるよう努力したそうです。
最終的に、卒業するころには(多少の距離感はありつつも)同級生たちの輪の中に、なんとか入れたそうです。また、陸上部内だけでなく、クラス内やそれ以外の場所でも「自分から誰かに話しかけてみる」という、それまでの自分にはハイリスクだった行動がとれるようになりました。さらに、中学校時代はまだ、話しかける相手は男子だけだったのですが、高校生になってからは、女子に対しても積極的にアプローチできるようになりました。
ちなみに、のちのち天才ナンパ師と呼ばれるようになった木ノ下涼氏は「ナンパで女の子に声をかけるときの勇気と、あのとき同級生に初めて自分から話しかけたときの勇気はよく似ている。」と言っていました。
そうなんです。著者の木ノ下涼氏は、このときに他力本願ではどうにもならない(一歩も前に進めない)ことを学んだのです。そして...
自分の望みを叶えるためには、他力本願のスタンスで待つよりも、自力本願のスタンスで自ら動いた方が早い
...んだと、このときに身を持って知ったのです。さらに、自力本願のスタンスで動くことは、本来の目的(=友達をつくる)とは違った、思ってもみなかった副産物(=ナンパ師になる)をもたらしてくれることも同時に学ぶことができたのです。
これはけっして、自力本願が正しくて他力本願は間違っているという話ではありません。時と場合によっては、自分だけで何とかしようとせずに、他人に助けを求めた方が良いこともあります。ですが多くの場合、他力本願は思考停止の状態に陥る危険をはらんでいるだけでなく、自分自身の成長にとってもあまりプラスには働きません。そして、大事な場面でこそ、自力で問題を解決するべきであり、そうした方が、のちのちの人生を快適に送るための成長を促すことができるのです。